専門学校卒業後、24歳で整骨院を開業。2店舗目を開いた今考えること。

西山さん3

 

西山龍太郎さん(28歳)

ふくろう整骨院院長。21歳で専門学校を卒業し、柔道整復師の国家資格を取得。24歳でふくろう整骨院を開業し、以来院長を務める。2015年2月、28歳で2店舗目を開院。高校時代はアルペンスキーに没頭し、インターハイにも出場。岩手県出身・在住。(写真前列中央が西山さん)

高校時代はスキーに没頭

高校時代はアルペンスキーに没頭しており、年4回ある定期試験のうち、2回しか受けないこともあった。あたりまえであるが、スキーは冬にしか出来ないため、合宿も大会も冬に集中する。いかに雪上に立って滑走量を稼ぐかが勝負になる。冬は合宿と大会でほとんど学校に行かず、春は4月いっぱいまで大会が続き、秋は11月から北海道などで滑り始める。また、ヨーロッパや中国に雪を求めて遠征することもあり、長期で学校を休むことは多々ある。高校卒業の単位はギリギリだったが、高校2年生からインターハイに出場していた功績も認められ、推薦で仙台の柔道整復師の資格を取得出来る専門学校へ入学した。なぜこの資格だったのか、聞いてみた。

西山さん:親父とおじいちゃんも整骨院を開業していました。そこで怪我を治している姿がすごく魅力的だったし、患者さんに感謝されている姿も目の当たりにして、すごいなぁと思っていたからです。

専門学校、試験勉強に初めて(?)必死になる

専門学校に入ってからは大変だった。正直それまであまり勉強をしてこなかった。卒業後は国家資格を取得しなければいけないため、いよいよ勉強は避けては通れかった。

西山さん:泣くほど大変でした。ジョイフルで朝まで友達に教えてもらいながら勉強しましたよ。まず、勉強の仕方から教わったんです。赤字の部分を覚えるとか、過去問をやるとか。赤字の部分を覚えるんだーと僕には新鮮でした。

西山さんは淡々と当時のことを話してくれたが、相当に大変だったに違いない。専門学校を卒業して初めて、国家試験の受験資格が得られる。しかも、試験は年に1回。

結果は、見事合格。西山さんは、柔道整復師の国家資格を取得した。

卒業から開業に取り掛かるまで

21歳で資格を得て、最初は整骨院に勤務。だが、1年半ほど経った22歳の冬には、岩手県のスキー場のスキースクールを間借りして、個人事業主として自ら怪我人などのケアを行った。パトロールの人にも「何かあればお声がけを」とお願いしていて、脱臼などの重傷患者を見ることもあった。

西山さん:初めてのことも多かったので、多少の緊張感はありました。パトロールの人に呼ばれて脱臼患者の元へ駆けつけると、患者さんがお医者さんだったんですよね。向こうも専門家なのであの時は緊張しました。

少し苦笑いを浮かべながら話してくれた。一番大変だったことは事務処理だった。病院と同じく健康保険が適用されるため、患者が支払うのは3割。実際に行った施術を申告することで、10割分の収入が得られる。通常は医療事務の方がこの事務処理を行うが、人を雇うまでの余裕はなく西山さん自らが行っていた。

2011年23歳の冬、スキー場で2シーズン目の治療を行っていた。3月、震災が発生。特に怪我や損害はなかったが、岩手県では食料品の確保にも苦労するほどの混乱に陥った。スキー場は通常ゴールデンウィークまで営業するが、西山さんの収入は途絶えてしまった。そこで、専門学校時代の友人が就職した九州の整骨院で1ヶ月半ほど働かせてもらった。

開業までのプロセス

2011年5月下旬、西山さんは開業の準備を始めた。まだ震災の混乱が治らない中、特に両親には大反対された。しかし、24歳で開業すると決めていた西山さんは、反対を押し切り開業の準備を進めた。

準備は着々と進めていった。まずは、資金調達。地元の銀行へ融資の依頼をした。経歴や事業計画を提出、そして銀行担当者にはなぜその計画がうまくいくのかなど説明を行った。自らの整骨院の強みを「治療技術は当然のことだが、接客・接遇、集客に力を入れようと思っている。地元にそのような分野に力を入れている整骨院は少ない。」と説明した。スキー場での治療経験も評価され、無事融資の審査に通った。ちなみに、申告してから資金を得るまでは、3、4ヶ月程度かかった。

スタッフを集めるのにも苦労した。24歳の西山さんからすれば、応募してくる人の多くは年上。実際、最初のスタッフの5名共、西山さんより年上だった。スタッフを引き込むにあたっては、とにかく想いを伝えていた。ただ、当時を振り返りながら「スタッフからすれば、とにかく熱いだけだったと思いますよ。当時は自分の考えていることをしっかりと言葉に出来ていませんでしたからね。」と話していた。

震災直後の混乱の中、開業に踏み切った理由

なぜ24歳の開業にこだわったのか。

西山さん:32歳で子供がいる家庭を築きたかった。そのためには28歳くらいである程度軌道に乗せていたかった。だから24歳で開業すべきだと思っていました。

計画性と実行力。やり手だ。開業自体は、西山さんの父親も開業しており、自分も自ら経営してみたかったのだと話していた。また、「自分は社会不適合者ですから、どこかに勤めるのは難しいと思っていたんですよね。」と冗談混じりに話していた。

開業

2011年10月、西山さんを院長としてふくろう整骨院を開業した。開業後は、患者さんも多く訪れてくれ、順調にスタート出来た。ふくろう整骨院のホームページを見るだけでも、活気が伝わってきて、人気治療院である理由も頷ける。

西山さん1

 

2店舗目、そしてこれからのこと

2015年2月20日、2店舗のふくろう整骨院を開院。この日は西山さんの28歳の誕生日だった。患者さんは順調に来てくれている。1店舗目の整骨院は後任に任せて、西山さんは2店舗目の経営に集中している。後任の方は24歳。どんな人なのか、聞いてみた。

西山さん:一番最初から一緒にやっていた人。思い、やる気、良いものを提供したいという気持ちが自分と近いんですよね。

2店舗目は10人のスタッフさんを雇っているということで、経営を担う西山さんの責任は重い。それでも、「自分のやりたいことが出来ている今は楽しい。」と話していた。

今後は3店舗目を考えているが、それ以降はのれん分けという形で展開していきたいと考えている。具体的には、開業資金の調達・提供と、集客等の初期の準備はふくろう整骨院で行い、その際にかかった費用の支払いを新院長が終えた時点で正式に明け渡しという形にする。のれん分けの方式をとる理由は「オーナーになれば裁量は自分でとれる。収入も自分の頑張りで変わる。その方が楽しいと思う。」とのこと。私個人が感じたことだが、ふくろう整骨院は若きオーナー院長を東北の方々に輩出していき、地域に健康と活気をもたらす存在になるのかもしれないと感じた。

働く上で意識していること、使命感

西山さん:人と相対する仕事なので、体調の管理には気を使っています。あと、治療ではなく逆に悪化させてしまうリスクもあるので、そこは責任感を持っていますね。また、最近は関わる人が多くなってきたので、周りの力を借りる、逆に自分が何かしてあげられることは力を貸してあげる、ということは意識しています。あとは、人を変えようとしないこと。変わりたいというきっかけを作ってあげること。自分の気持ちを伝えて、共に目標を目指せる関係になることを意識しています。

経営者の発言だった。理念についても聞いてみた。

西山さん:企業理念というか企業としてのミッションはあります。それは、人に喜ばれる仕事をすること、良い技術・良い習慣を広めていくこと、常識を変える仕事をすることの3つです。実はさっきも今期の目標を共有する集会でその話をしてきました。常識を変えるとは、病院で治らなかった事が整骨院で治療出来るということや、姿勢を矯正することで頭痛が治る、など世間ではあまり認識されていないことを広めていきたいんですよね。

最後に

西山さんは終始淡々とインタビューに受け答えてくれました。いろいろと課題はあるようですが、何となく解決策に当たりは付いているとのこと。一見、自分一人で解決しているような印象も受けますが、開業や2店舗目の展開の時には、震災時にお世話になった先輩院長にアドバイスをもらったりと、周囲の助けをもらっているそうです。「想い」という言葉がインタビュー中に何度か出てきました。その想いを周りに伝えて、実際に行動をする。そして信頼と助けを得て、さらに前に進むことが出来る。経験がないことばかりで大変なこともあったと想像できますが、そうやって自ら道を切り開いてきたのでしょうね。

履歴書の最終学歴は大学名であることが多いですが、西山さんはあまり知られていない高校と専門学校。自ら資金を調達し、人を集め、ビジョンを語り、経営をする。28歳でここまでの経験をしている人はあまり多くないと思います。人とは少し違う経歴で、どんどん前に進んでいる西山さんに、同い年の人間としてすごく刺激を受けるインタビューとなりました。やはり、人は学歴では推し量れませんよね。

2015年06月06日 | Posted in 起業・独立 | タグ: No Comments » 

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