大学から始めたチャレンジ。そこで負った怪我がもたらした転機。

滝田さん3
滝田ちせらさん(25)
浪人を経て神戸大学へ入学。その後あるきっかけで神戸大学を退学し、杏林大学の診療放射線技術学科へ入学する。現在、大学1年生。診療放射線技師になるべく勉強中。

大学で始めた新たなチャレンジ

3回目の大学受験で神戸大学海事科学部海洋安全システム科学科へ合格し入学した。元々の第一志望は国立大学の医学部。東京工業大学附属科学技術高校で工学に近い場で高校時代を送った滝田さんにとって、医療の分野の方が幅が広く魅力的に映った。しかし医学部、しかも国立大学ともなるとかなりの狭き門だった。とはいえ、実は2浪目、3浪目で私立の医学部には合格していた。だが、金銭面でどうしても厳しく、進学を断念せざるを得なかった。苦しい決断だった。

神戸大学海事科学部は、2003年に神戸商船大学と神戸大学が統合して出来た学科だ。いわゆる船乗りを育てるための課程となっており、全国でも珍しい学科であるため、沖縄から航海士になるために入学してきた同級生もいた。就職先は商船三井や日本郵船などの商船会社が多い。

神戸大学への入学は、偏差値の問題もあったが、オープンキャンパスで訪れた際に、雰囲気が気に入り印象に残っていたというのもあった。しかし、船員になることにはあまり興味はなかった。実習で船に乗ると船酔いもする。少し苦い大学生活のスタートとなった。

部活にも入った。入ったのは体育会系のスキー部。最初はアルペンをやるつもりで入ったが、周りの人に触発されて、なんとジャンプをすることになった。男子部員でも、大学からジャンプデビューする人は少し変わり者と見られる。あのジャンプ台から飛んでみたいと思う人など、なかなかいないからだ。さらに女子部員ともなるとジャンプを選択する人はほとんどいないといってもいい。

実際に、2015年2月に行われた大学生で最も大きな大会であるインカレでも、ジャンプ競技に出場した女子選手は全部で8名だ。しかも彼女達の多くは小さい頃からジャンプ競技に慣れ親しんでいる経験者だ。そんな中でジャンプを選んだ理由は「大学生活でしか出来ないことをしたかったから」。確かに、普通はアルペンを思い浮かべるし、社会人になってからのジャンプは怪我が怖くて遊び半分では決して出来ないスポーツだ。それにしても、そこで迷いなくジャンプを選ぶ滝田さん、個性的だ。

突きつけられたもの

体育会系ともなれば、ウィンタースポーツのスキーといえど夏にもトレーニングを欠かさない。日々のランニングやウェイトトレーニングに加えて、週末などには時間を見つけてサマージャンプも行う。冬に使うジャンプ台で、夏場でもジャンプの練習を行うことができるのだ。そして少しずつジャンプの技術を高めながら冬のシーズンに突入した。

冬の始まりの合宿地は北海道に集中する。神戸大学スキー部も北海道下川町で合宿を行った。道北に位置する、旭川よりもさらに北に位置する地だ。しかし、合宿がはじまって早々滝田さんにアクシデントが襲う。

転倒、前十字靭帯断裂、半月板の損傷

ジャンプをはじめて1年目、合宿の最初で手術をしなければいけないほどの大怪我を負った。初級者がジャンプで転倒することは珍しくない。最初の診断では捻挫。捻挫ならば大丈夫だろうと最後までジャンプ合宿を行った。その後、アルペンの合宿にも参加した。しかし、どうもおかしい。歩くだけでかなりの痛みが走り、突然膝からガクッと崩れることもあった。チームメイトには何となく言い出しにくく、こっそり札幌の病院で再診を受けた。MRIの診断結果を見て医者から宣告を受けた。ジャンプは諦めて帰るしかなかった。

1月に十大戦がある。その名の通り、10の大学が集まって行う大会だ。十大戦は大学生が方針決めや運営を行う大会だ。夏に参加校が集まる会議があった。当時、女子の競技にジャンプはなかった。ジャンプ競技を組み入れるには1つの課題があった。それは参加選手が少ないことが見込まれたので、参加をすれば上位入賞は確実となり、大学対抗ポイントを大量に獲得出来てしまう点だ。大学同士、議論になった。それでも滝田さんは諦めない。その会議で飛ぶことを宣言した。結局、正式種目としては認められなかったがオープン種目として競技は行われることになったが、そんな十大戦を前にした怪我。どんな気持ちだっただろうか。

滝田さん:札幌の病院で宣告された時は雪がしんしんと降る夜でした。寒いのも忘れて,2時間ほど札幌駅前で泣きました。目の前が真っ暗になるってこういうことなんだなぁと思いました。今思えばそんなこともあったなぁという感じですけど。

再び医療の道へ

2月に手術をした。その後半年くらいは生活も困難になるので、1回生を終えた時点で、神戸大学を休学することにした。実は、夏にも一度ジャンプで怪我をしており、実家のある千葉県の病院で治療を行った。今回もその病院にお世話になることになった。ここでの主治医の先生や理学療法士やトレーナーの方々との出会いが彼女の人生の方向感を変えることになる。

その先生の経歴は少し変わっていた。最初は医学部を目指していた。しかし医学部は狭き門。2浪したが医学部には入れず、やむなく別の学部に入学した。しかし諦めきれない。半期で休学して猛勉強した。そして見事医学部に合格した。そう、滝田さんに少し経歴が似ていた。その先生は言った。「若いうちにやりたいことをやったほうがいいよ」と。この出会いと言葉が滝田さんの医療への気持ちを再び掻きたてた。

滝田さん:正直、神戸大学入学当初から,間違った環境に来てしまったのではないか?と思っていました。特に船員になろうとも思っていなかったので,船員希望の同期の熱意を見ているとますます間違ったところに来てしまったと思っていました。その中で自分のしたいことはなんだろうと考えた結果、海洋安全システム科学科への進学や気象分野への勉強でした。私はそれで自分自身を納得させていました。しかし、怪我やリハビリを通して「やっぱり自分はこのまま海事にいてはダメだ」と思うようになっていました。そんな時に主治医の先生の話を聞いたり、担当の理学療法士の先生の姿を見て、まだ今ならリセットできる、もう一度医療分野への進学をしようと思いました。

神戸大学を休学したまま勉強にとりかかった。神戸大学に籍を残しながら勉強するのは心苦しかったという滝田さん。保険として退路を残しているようで気持ちがすっきりしなかった。だが、逆に合格しなければまた神戸大学で違和感を抱えながら大学生活を送らなければいけない、という思いがより机に向かわせた。

1年弱の勉強の末、杏林大学の診療放射線技術学科に見事合格。先生に報告をすると、「一度きりの人生、いい顔、いい仕事、いい人生でね!」と応援してくれた。

走り出す

今の大学には付属病院があるため、1年生から実習が多い。解剖の現場を見学したり、実際に放射線技師の仕事ぶりを目の当たりにすることも多々ある。放射線技師といえばレントゲンをとる仕事を思い浮かべるが、担当する範囲は広い。マンモグラフィと呼ばれている乳房X線検査や、デジタルX線TV装置と造影剤を使って臓器や血管を描き出す造影X線検査、さらに体内の断面図を撮影するCT検査や磁気を利用するMRI検査、超音波検査など、診療方法は多岐に及ぶ。また、がんの有効な治療法である放射線治療も放射線技師が担うことができる範囲だ。

滝田さんは救急の場で活躍する放射線技師に惹かれている。1つ検査をとっても、撮り方によってその後の医師の検査のしやすさに大きな差が出るのだ。緊急性を要する救急の場で、医師と二人三脚で治療に携われる放射線技師になりたいと今は思っている。「怪我をした時、最初の検査の時点でもし撮り方が違っていたら捻挫なんて言われなかったのかもしれない、なんて勉強してて少し思っていたりもします。」と、話していた。自身の経験から、なりたい診療放射線技師の像を思い浮かべている。

滝田さん2

またスキーを始めたいとも思っている。杏林大学のスキー部には今はアルペンをやる人しかいないが、今度はクロスカントリーを始めたいと思っている。そのために今もリハビリに取り込んでいる。しかし、その内容を聞くと、ウェイトトレーニングや有酸素運動など、リハビリというよりトレーニングだ。理学療法士やトレーナーの方々は、元はスポーツ選手だったらしく、滝田さんがまたスキーをしたいということで、厳しく、しかし優しく指導してくれているという。

時には午後3時からリハビリを開始したと思ったら、終わる時間は午後9時をすぎていたり、リハビリも効果が出るかは人によって違うため、理学療法士の方が悩みながら試行錯誤してメニューを考えてくれたり。理学療法士やトレーナーの方々は滝田さんがクロスカントリーだけでなくジャンプにも復帰出来るようにとの思いも込めて、メニュー作りやリハビリにあたってくれている。しかし、一度大怪我を負ったジャンプ競技に恐怖心もあるはず。滝田さんに今でもジャンプを飛びたい気持ちがあるのか聞いてみた。

滝田さん:今は半々です。前十字の損傷は再受傷率が高い怪我なので、また始めたら怪我をしてしまうのではないかという不安が大きいので・・・。この怪我で自分のトレーニング不足を痛感させられたので、今競技に戻ったとしても万全な状態ではないかなと思います。ただ、いつかはまた飛びたいと思います。1回生の夏に大倉山ジャンプ競技場へ一人で行った時、「いつかここを飛んでみたい」と思ったその気持ちだけは忘れずにこれからもスキーは続けていきます。

主治医の先生の話もそうだが、病院での話をしている時の滝田さんはすごく楽しそうである一方で言葉に力強さを感じた。治療を受け、周りの先生方の医療への関わり方を見ながら、自分自身の医療への関わり方もイメージしているのかもしれない。

最後に

少し思うようにいかなかった大学1年目。そんな時に出会った主治医の先生や病院スタッフの方々。スキーで辛い思いをしたけど、そこで自分の人生に影響を与える出会いをして、今ではまたスキーをしたいと思っている。スポーツとは何なのだろうと考えさせられることがあります。学生の本分は勉強。確かに勉強は大事かもしれないですが、自分の考え方ややりたいこと、将来のなりたい像に影響を与えるのは勉強以外の活動だったりもします。勉強以外のことを一生懸命やってみる、すると自分だけの人生が見えてくるのかもしれない。スポーツとは人生に深みと幅を与えてくれるものなのかもと今回ふと思いました。

一生懸命取り組んでいたからこそ、すごく悔しい思いをした怪我。その時の強い感情が、今医療を提供する側になるべく勉強している滝田さんに、いろいろなことを考えるきっかけを与えているような気がしました。なにか、滝田さんはすごく幅の広い診療放射線技師になってくれそうな感じを受けました。

2015年11月12日 | Posted in 未分類 | | No Comments » 

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