大学院進学をやめてカナダスキー留学へ、帰国後。

橘さん(仮 32歳)
国内スキーリゾート勤務。大学卒業後1年間バイトで資金を貯め、2007年から2年間カナダのウィスラーへスキー留学。スキーインストラクター(障害者向け含む)の資格を取得。その他スキー留学生のアドバイザー、スキー技術の通訳など経験。2009年帰国し現職に就く。企画営業として修学旅行や団体ツアー、旅行代理店との契約、スキー場内イベント企画や広告販促、ファシリティ立案に携わる。

橘さんは、僕の高校のスキー部の先輩。と言っても年が3つ離れているので入れ替わりで直接一緒に活動したことはないのだけど。小6の時に、当時隣の町の中3だった橘さんが全国大会で入賞し、しかも勉強もできて県下一の進学校に行くという話を学校かどこかで聞いて憧れたのを憶えている。田舎の中学生が想像できる栄冠の全てだ。

高校時代もインターハイや国体に出場するなど部活でも活躍した橘さんは、卒業後筑波大学人間学群に進学した。大学で勉強していたのは障害者の余暇活動に関して。卒業論文のテーマは「日本のスキースクールにおける障害者スキーヤーの受け入れ状況」で、学部卒業後には大学院で引き続き障害者の生活に関する研究を続けたいと考えていたらしい。

スキー留学を思い立ったきっかけ

ところが、橘さんは大学3年のお終わり頃に大学院進学をせずにカナダへスキー留学へ行くことを決意する。

筑波大学の卒業性の進路なるページをみると大体名の知れた大手企業や官公庁、教員、大学院進学などが載っている。きっと橘さんのとった進路は周りの同級生たちの中では特異だったに違いない。当時リーマンショック前だし就活するにしても学生売り手市場で有利だったはず。

スキー留学を考え始めたきっかけは本当にふとした出来事。大学3年生の途中、部活も研究もなかなか成果が上がらず思い悩んでいた時期があった。そんなある日、練習とは別に自由にのんびりスキーをしに出かけた。

快晴。

なんてことはない普通のスキー日和。だが、いろいろ溜め込んでいた橘さんは、その日のスキーの気持ち良さが忘れられない。「スキーってこんな楽しいんだ」と気がついたと振り返る。それまで障害者の生活に軸足を置いて勉強してきたが、自分の好きなスキーというスポーツを年齢、国籍、身体能力を限らずより多くの人に楽しんでもらいたいという、よりスキーに軸足をおいた自身の関心に気がついた。そしてカナダスキー留学を決意。進学も就職もせずにスキー留学をするということに家族にはもちろん心配されたし、父親には「これで帰国後に就職が厳しい時期になってて働き口がなくてもしらんぞ」とも言われた。もともと大学院に使う予定だった数年間をスキー留学に使いたいと説得し、1年間地元でバイト生活をしてカナダへ渡った。

カナダスキー留学〜就職

留学先ではスキーの技術の他に、ティーチング、クラスマネージメント、コミュニケーションの指導などが行われた。幼い頃から全国大会で活躍して来た橘さんはカナダのスキーインストラクター資格を1年間でレベル3まで取得、2年目にはスキースクールで仕事をしながら、最高レベルのレベル4の資格にもチャレンジ。スキー技術の通訳をする語学力も身につけた。

現地のインストラクター達との交流の中で、違う考え方を提供することの価値や大切さも学んだ。「こいつら俺に現地化して欲しいと思ってないな。」と感じる程、日々の会話や話し合いの中で、日本ではどうなのか、日本人ならどう考えるのか、違った視点からの意見を期待される事が多かったと振り返る。

カナダのスキー場や教え方と日本のそれとの大きな違いは、日本ではキレイに整備されたコースでの指導に偏りがちだが、カナダでは雪が積もれば深雪の所を滑らせるし、整備されたコース外やモーグルの様なボコボコのコブ斜面を滑らせたり幅広い。色んなスキーの楽しさを教える。

そんな留学経験をした橘さんは帰国後リゾート経営会社を中心に就活。同じく海外スキー留学を経験した人を採用している企業に内定をもらう。大学時に気づいた自身の思いに沿い、カナダ留学で学んだ日本とは違う価値観のスキーを伝えられる場所だ。現在は企画営業としてスキー場内のイベント企画やプロモーション、ツアー営業にファシリティ立案など幅広く活躍している。

実際今回お話を聞いた場所も橘さんが働くスキー場。職場には同じくカナダでスキー留学した後に就職した人もいて、スキーに対しての同じ価値観が共有できるらしい。コース上には古い車の上に雪を積もらせジャンプ台にしていたり、リフト下のスペースに手作りのスキークロス(バンクやデコボコのあるモトクロスのようなコース)があったりと楽しい。そんなコース上の企画もカナダスキー留学のメンバーならではだ。

仕事を選ぶ基準

Nさん3

大学院進学をやめて、新卒の時期もとばして自分の関心のままに突き進んだ橘さんに、どんな基準で仕事を選んだかを聞いた。

「使命感」を持てる仕事であること。橘さんの仕事を選ぶ一番の基準だ。その使命感とは自分にしか出来ない事を仕事にするというこだという。橘さんの通っていた高校のスキー部は近くの大学のスキー部や社会人、障害害者レーサー達と合同で練習する一般的な学校の部活動とはすこし変わった環境にあった。地方大会→全国大会という構図しか知らなかった15歳の橘さんは、多様なスキーヤーに囲まれて日々練習をした事で、スキーにはもっと色んな楽しみ方があるのだと知った。大学では障害者スキーに関わる勉強もし、もっと広いスキーの世界を見たいと卒業後カナダに渡った。日本のスキー界の主流であるデモンストレーションや競技の他にも、もっと多様な楽しみ方がスキーにはある。それを海外で見た来た数少ない人間として自分にしか出来ない事がある。その使命感がこの仕事をしている大きな理由だ。

2つ目に橘さんが仕事を選ぶ基準としていることは、「遊び」が活かされる仕事。スキー留学のように日本の就活スケジュールから遅れてしまい不利になることもあるが、そういった価値のある遊びが結果活きてくるのが今のレジャー関連の仕事。車中泊をしながら旅をしたり、業務とは関係のない他業界の事例から学んだことが活きてくることもあり、そういった遊びが価値をもつ仕事をするのは楽しいと語る。

最後に仕事を選ぶ基準としていることとして挙げられたのは、「その業界、商品を信じきれるか」ということ。少子化や温暖化など、以前に比べて、スキー市場が縮小化しているのは間違いないが、決して無くなることはなく、他では得られない体験ができるものだと信じている。だからこそ、厳しい状況でも前向きに、自信を持って営業することができるという。

最後に

一緒に滑りながらスキー場内の施設やイベントなどを紹介して頂き、リフトの上でいろいろお話を聞いた今回。基本的にはデスクワークやミーティングなどの業務が主になるが、仕事に行き詰まったら休憩がてらひと滑りしリフレッシュすることもあるという。服装はいつでもゲレンデに出られる格好で、住まいも近くにあり、奥さんと3歳、1歳のお子さんが遊び場として橘さんの働くスキー場によく訪れる。お昼を一緒にたべたり、ちょっとした隙間時間に子供に会える環境ははなんだかうらやましい。

このインタビューでは日本の一般的な就活の時間軸から外れて就職した人にフォーカスし、その後どんな仕事をしているのかを書いて行きたいと思う。橘さんはスキー留学をすることでいわゆる新卒ではなくなる訳だけど、やりたいことを追求していく事でユニークな経歴に。一つのことをとことん色んな角度から見てきたからこそ生まれる使命感。素敵だし楽しそう。

2015年04月19日 | Posted in スポーツ, 留学 | タグ: No Comments » 

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