教員志望、青年海外協力隊としてアフリカへ、帰国後。

チペゴさん1

 

チペゴさん(仮 28歳)

大学卒業後、青年海外協力隊のメンバーとしてアフリカのザンビアにある学校で2年間体育を教える。ザンベジ川で出会ったラフティングに魅せられて、帰国後ラフティングガイドになる。現在北海道、四国と川を求めて渡り歩いている。(写真 一番右 *チペゴ[Chipego]はザンビアで付けられた名前)

きっかけ

チペゴさんは僕の大学のゼミの同級生。当時スポーツ社会学のゼミに所属していて、卒論の提出期限に追われゼミ室に篭もりながら、青年海外協力隊に申し込んだチペゴさんと「受かったら行き先どこになるんだろうね。」なんて話してた気がする。青年海外協力隊申し込んだきっかけは本当にたまたま。ある日後輩と図書室に行ったら説明会の案内が目について、そしてその日がちょうどその説明会当日だった。教員志望だったチペゴさん、教員採用試験も不合格になっていたし、部活も引退していてその日は時間があったので、いっちょ聞いてみるかと思い行ってみた。大学4年目の11月。

「1年目の方ー?2年目の方ー?・・・」とプレゼンターが会場に集まった学生達に聞く。4年目の時に手を挙げたのはチペゴさんひとり。「あ、4年生ですか?それならもう決めないと」なんて言われながら説明を聞いていた。もともと人に教えるのが好きな性格。大学のバスケ部のキャプテンもしていたし、教えた相手が出来るようになっていく過程をみるのが楽しい。説明会を聞きながら、「海外にはまた違った教え方があるのかなー」と興味を持った。またそれ以前に、未知の国に行くことを想像するとなんだかワクワクした。

結局、申し込むことにした。心配するだろう母親には申し込んだ後の事後報告。選考の段階ではどこの国に派遣されるかは決まっていない。しばらくして合格通知が届いた。派遣先、ザンビア。

JICAボランティアの青年海外協力隊は年に4回、各回約400人が世界中に派遣される。ザンビアに派遣された同期は11人。チペゴさんのような体育隊員の他に獣医、コンピューター関係、鉱物関係専門といったメンバーだった。実際に派遣される前に日本で2ヶ月の訓練と、現地に到着した後にその国の首都で1ヶ月の語学や現地の文化研修などが行われ、その後それぞれの任地へ派遣される。

派遣

アフリカ人の中に1人、2年間。

「なんでも受け入れられるようになった。」と話すチペゴさん。最初はすごくイライラした。まぁ時間なんて守らないのが当たり前だし、約束だってあって無いようなもの。それでも次第に慣れてきて、水が出なくなるのも、電気がつかなくなるのもそれはそれでここの生活の一部かな、と思えるようになった。いつの間にか、現地に溶け込み充実した体育教員生活を送るようになっていた。

ある日、折角だからどこかに観光に行きたいと思い、どこか良い所はないかと周りの人間に聞いて訪れたのがその後の人生を変えるザンベジ川。世界3大滝の1つヴィクトリアフォールのある川だ。(*ちなみにヴィクトリアフォールは幅約1,700メートル/落差約100メートル。ナイアガラの滝が幅約1,200メートル/落差約50メートルなのでそれよりも大分大きい)チペゴさんは激流で知られるそのザンベジ川でラフティングに挑戦した。

チペゴさん2

「こんな非日常があるのか!!」と圧倒された。僕からするとアフリカでの生活の時点で非日常だと思うが、そこからさらにそう思うのだからかなりの衝撃だったんだろう。「大自然のなかで遊ぶ感じがたまらなく楽しくて、ガイドの人が凄くカッコよく映った。」と興奮して教えてくれた。

帰国後の進路

協力隊としての任期も残り3ヶ月くらいになると帰国後の進路を考え始める。日本で教員になるのも良いけど、何かもっと自分が主体となってできるものが良かった。ネットで色々とアウトドア教育の非営利団体などの採用情報を見ている中に、たまたまラフティングガイドと書いてあるのをみつけた。これだ、と思った。ラフティングガイドはお客さんと一緒にボートに乗り、教えながら自分もプレーヤーとしてボートの舵を取る。授業で生徒に指示を出しながら自分はサポート役というのより、自分も主役となってできる何かを探していたチペゴさんの希望とぴったりきた。

帰国後半年経ってラフティングのガイドとして働き始めた。北海道で3シーズン働き、知人の薦めで今年から日本一の激流、四国の吉野川の近くへ移り住んだ。「体力の限界来るから、ずっとできる仕事ではないかも知れない。いつかはやっぱり教師をやりたいなとも思ってる。」と話すチペゴさん。ただ、今のガイド生活が楽しすぎてなかなか辞められないんだとか。

最後に

青年海外協力隊としての派遣が終わった後、チペゴさんは半年間地元の学校で臨時教師として働いた。学校内の諸問題で担任の先生が急遽辞めた後の学級を任された。アフリカで鍛えられたバイタリティで無事務め上げ、校長はじめ周りの教員にはいつかまた絶対教員の世界に戻って来て欲しいと言われた。

教員採用試験って、やっぱり真面目にその試験用に時間を割いて勉強した人が合格する。高校、大学とほぼ学校ばかりで生活してきたのが、試験をクリアすると今度は教える側になる。学校から学校、それ以外の世界をあまり見ないまま。生徒だった頃、昔研究者だったけどなぜか理科の先生になったとか、卒業後もしばらく選手として競技生活続けていたとか、そんな外から来た変わった先生が面白かったし影響を受けた。大学生活の後半を試験勉強に使う事が良い先生を作るんだろうか。本人は今は出来るだけラフティングに関わって行きたい気持ちの方が大きいと言っていたけれど、チペゴさんみたいな先生がいたら面白いのにな、と書いてみる。

2015年05月31日 | Posted in 国際協力 | タグ: , , 1 Comment » 

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