自らたぐり寄せた「政治家」への道
山本将さん(やまもとすすむさん 27歳)
松下政経塾2回生。大阪大学医学部保健学科放射線技術科学専攻卒業後、神戸大学法学研究科に進学、中退。2014年4月に松下政経塾第35期生として入塾。政治家を志す。大阪府出身。
「政治家になりたい」とは言えなかった
山本さんは母子家庭で育った。しかもお母さんは障害を持っており、体の具合にもよるが寝たきりの生活が続くこともある。お母さんと歩いていると、ちょっとした段差も気になった。狭い歩道、そこを走る自転車、山本さんのお母さんにとってはすごく危険だった。健常者の視点で作られている街。周りとは少し違った境遇で育った山本さんは、周りの子供とは見る視点が違かったのだろう、小さい頃から漠然と政治というものに興味があった。いろいろなものが政治につながっている気がしていた。しかし、当時の山本さんは、政治家になるためにはお金が必要で、政治家の家系に生まれる必要があるのだろうと思っており、自分には目指すことが出来ないものだと思っていた。
山本さん:小学校の卒業文集に本当は『政治家になりたい』と書きたかったんです。でも、書けなくて。結局「ジャッキー・チェンになりたい』って書きました(笑)。
今でこそ笑い話。だが「ジャッキー・チェンになりたい」と書くときには、子供ながらの葛藤があったのだと思う。高校は進学校に入学した。そこで、自分の家庭環境と周りの家庭環境の違いを感じた。
山本さん:小学校、中学校は普通の地元の学校でした。だからあまり感じなかったんですけど。高校は進学校で、自分とは明らかに違っていました。塾に毎日のように通う人や、さらに家庭教師を雇っている人まで。格差のようなものを感じました。
決してひがむような言い方ではなかったが、この経験でさらに山本さんは政治への気持ちが強くなったのだろうと感じた。
少しでも政治に近づきたい、その想いで進学した先とは
一浪した後、大阪大学医学部保健学科に入学し、放射線技術科学を専攻した。理由はいくつかあった。資格を取ってすぐに働きたかったのと、リストラがなく転勤もないのが良かった。また、お母さんの障害から医療にも興味を持っていた。大学時代はごく普通の大学生。同じ学部の友達と、夏は海、冬はスノーボードに行き、アルバイトをしながら生活していた。
大学3年生になると、病院実習が始まる。ここから山本さんの葛藤が始まった。「自分はこのまま放射線技師になる、で良いのだろうか」夜な夜な親友と飲んで悩んでが4、5ヶ月は続いた。小さい頃に心の片隅に追いやった政治への想い。将来について考えた時、すぐに「政治家」が表面に浮かんできたわけではなかったが、あの時の想いが山本さんの心を揺さぶっていた。
しかし、政治家になる方法が分からない。当時、オバマ大統領や橋下元大阪府知事が世の中を賑わせていた。オバマ大統領は議員になる前は弁護士だった。橋下さんも元々は弁護士。法律を勉強すれば将来政治の世界に進んだときに活かせるし、法律で生活ができる仕事に就ければ、何十年後かに選挙資金も貯めることができるかもしれない。そこで山本さんは法曹の道へ進むことを決めた。
医学部保健学科からは畑違いの道への専攻転換。だが、法科大学院には山本さんのように他分野から進学する人にも門戸が開けているようで、通常の法学部から進学する人には法律の知識を問う入試問題だが、他分野からの進学者には論理的思考力などのポテンシャルを測る入試問題なのだという。大学4年時は研究と放射線技師の国家資格の取得に専念したため、1年空けて神戸大学の法科大学院に無事合格。元々、お母さんから、国家試験を通ること、それ以外は好きにしていいよ、と言われてた。
ただ、法科大学院に入ってからも心の中のもやもやは晴れなかった。周りは法曹の道へ進むことを目的にしている。一方で、自分は法律の勉強をしたい気持ちはあるが、政治家になるための勉強。周りが法曹一本で突き進んでいる中で、自分にはこの進路しかとれないから、と思ってはいるが・・・。そんな気持ちを抱えて入学から1年が経とうとしていた頃、松下政経塾の存在を知る。
松下政経塾との出会い、真正面から政治家を目指す
松下政経塾を知った山本さんは、「塾」という名前から、お金を払わなければいけないんだろうな、という先入観を持ち、少し壁を感じていた。しかし、よくよく調べていくと、実は大卒初任給並みの毎月の研修資金と、査定に応じた活動資金をもらいながら、自分の志のままに勉強や研修活動を行えることが分かった(興味のある方は松下政経塾のホームページを見ていただきたい)。しかも、農業・林業・漁業の研修などで実際に体を動かしながら学んだり、剣道・書道・茶道など日本の伝統文化を学ぶ機会もある。机上で勉強しているだけではないということも大きな魅力だった。まさに山本さんが欲していた場所。大学院2年生になる少し前のこと、松下政経塾への入塾を決意した。
同時に、少しずつ政治に関わる機会を増やしていった。2013年夏頃、自民党が主催する地方学生を対象としたインターンシップに参加した。秘書業務がメインであったが、石破茂さんや小泉進次郎さんの話を聞く機会もあった。インターンシップ期間中は様々な人と会う機会もあり、また自分の意見を発信する場もあった。その時山本さんは、常に自分をアピールすること、こいつは原石かもしれない、と思ってもらうことを意識していた。その甲斐もあってか、個別に話を聞いてもらう機会が何度かあった。与えられたチャンスを少しも無駄にしない、山本さんの覚悟を感じるエピソードだ。
インターンシップと並行して、松下政経塾の応募の準備もしていた。最初は書類選考。自分の志、実現したい社会、強みとすることなどが設問内容だった。次は面接、4、5名の面接官を相手に面接。その次は、松下政経塾に一泊二日の泊まり込みで様々な試験を受けた。TOEICやグループディスカッション、SPIや体力測定。体力測定はランニング、腹筋、背筋、腕立て伏せなどで、女性も含まれるので厳しい審査基準ではないようだが、とにかく皆んな必死でやった。夜には懇親会もあった。だが、常に見られているのではないかと思い、終始緊張感があった。翌朝は松下政経塾の敷地を朝6時から掃除をして、その後2回目の面接。そして日を空けて、最後の面接。面接官は6、7名で、その中には元内閣総理大臣もいた。山本さんはこの選考を見事通過した。単刀直入に、どうして受かったと思うか、聞いてみた。
山本さん:政経塾での選考基準は、運と愛嬌です。これは、松下幸之助さんが未来のリーダーに必要な要素として掲げたものであり、松下政経塾の選考基準となっています。私は、生まれた時から自分は運が強い人間なんだと信じてきました。実際、何か困ったことがあれば不思議と助けて頂けることも多く、運が良いなと感じる体験も多かったです。でもそれ以上に、自分は運がいいと信じて生きてきました。愛嬌の点に関しては、自分ではよく分かりません。でも、周りに好きな友達や人は多いです。人に恵まれていると思います。選考で意識していた点は、自分の意見をしっかり発言することと、その時の自分にとって政経塾で学ぶことが必要だと考えている旨を伝えることでした。
小さい頃は遠い存在だと感じていた政治の世界。それをたぐり寄せようと飛び込んだ法曹の世界。そしてついに出逢った、松下政経塾。どれだけ山本さんの言葉に説得力があっただろうか。政治や様々な世界で活躍しているであろう政経塾の先輩方を納得させられたのも頷ける。
松下政経塾の生活
ここで少しだけ松下政経塾の生活について紹介する。全寮制なので、塾生は寮生活だ。部屋は先輩と2人部屋。施設は研修室、寮に加えて茶室や体育館など多様だ(詳しくはこちら)。場所は東海道線辻堂駅からバスで15分ほど。利便性が高いとは言えないが、それも狙いなのだろうか、とにかく「学ぶ」にはうってつけの立地のように思えた。
上下関係は厳しい。4年制なので、1回生から4回生までいるが、年齢や経歴はバラバラ。多くの人は社会人経験を経てから入塾する。山本さんのように学生から入塾するケースは珍しい。年齢に関わらず、1回生は2回生に敬語を使わなければならない。実際、1回生には山本さんより6つ年上の人がいるが、山本さんに敬語を使っている。同期に36歳の人もいるが、もちろん同期扱い。毎朝6時から掃除もしている。1回生はさらに早い。朝5時から準備を始めるという。掃除に準備?と疑問に思うが、何しろ広大な敷地だ。1回に全てを掃除できるわけではないので、政経塾で行われるイベントや天候を考慮して、いつどこを掃除して、誰がどういう役割で進めていくかを考え、実行する。掃除後は、先輩から厳しめの指摘。掃除1つとっても気を抜けない。
学ぶ環境としては、すごく恵まれている。固定収入を得られるので、24時間365日自分が志すものに没頭できる。それゆえのプレッシャーもあるのだろうが。外出が7割で、政治家や経営者、日本舞踊や茶道、能などの文化人の方々、イギリス大使館やアメリカ大使館の方まで、様々な人に会わせてもらう。政経塾のつながりでアポイントをとることもあるが、つながりがない場合は直接メールなどで連絡をとることもある。
京都大学や九州大学を迎えたサマースクールも実施している。元々京都大学や九州大学は塾生のつながりでサマースクールを行うことになったが、他の大学も企画出来れば実施したいのだという。寮なので、ディスカッションの時間はある意味無制限。とにかく学びの連続なのだろう。卒塾生の進路は政治分野が半数弱を占めるが、他にも経営者や社会起業家、研究者やマスコミ関係など多様な進路をたどっている(詳しくはこちら)。ここで様々な経験を積んで、社会で活かされているのだろうと感じた。
松下政経塾のカリキュラムから感じる可能性
政経塾は「自修自得」「現地現場」を大切にしている。山本さんは、こんな例え話をしてくれた。
山本さん:誰に会いたいって聞かれて、ゴルバチョフに会いたいって言ったら、じゃあ会えるように企画してって言われる。決して周りが用意してくれるわけではない。入塾前はどこか頼りがちだったのが、今では全部自分でやらなければいけないと思うようになりました。
決して塾や学校の類ではない、与えられた学びではなく、自分で求める学びなのだと強く感じた。それでも1年目はカリキュラムが9割、自分の赴くままに使う時間が1割程度。4年目は逆に、カリキュラム1割の自分の時間が9割。2年目、3年目と徐々にこの時間の割合が変化していくそうだ。この方針に山本さんはある可能性を感じているという。
山本さん:最初から全部自分でやれと言われても、なかなか難しい。今同期4人で『労働観』について共同研究をしているのですが、例えば学校はカリキュラムが10割。そこからいきなり自分で人生を作っていくんだよと言われても難しい。定年後も同じようなことが言えると思うんです。いきなり退職して、それまで時間の大半を使っていた仕事がなくなった後に何をしていいか分からなくなるような気がするんです。だから例えば、定年と年金配布を徐々に傾斜を付けて進めていくというか。そういうことも考える必要があるのではと考えています。
インタビュー中、山本さんは「無為の時間」という言葉を何度か使っていた。自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、自分自身を振り返る時間という意味で使っていた。日々忙しい政経塾の生活だが、これは自分のために使っている時間。山本さんは「無為の時間」を大切にしており、そのような時間を与えてくれる政経塾に感謝している。働き始めるとなかなか自分に向き合う時間を確保出来ない。そしていつか来る退職。山本さんは、少し俗世間からは離れたこの松下政経塾の時間の使い方が、これからの日本の働き方のヒントになるのではないかと感じている。
政治家になるという覚悟
「これからは自分の名前で勝負していかなければならない。」山本さんは何度かそう言っていた。今はまだ2年目でカリキュラムの割合が多い。しかし、3年目からは自分でテーマを決めて動き始める。塾を出た後、政治家への道も就職も保証されているわけではない。明日、来週、来月がどうなっているか分からない。周りに協力を仰いで応えてくれるかな、という不安もある。塾生は常に悩み、孤独感は尽きないのではないか、と山本さんは話していた。
政経塾の最終面接で「すぐに国会議員は難しいかもしれないけど、政経塾に入らずとも政治活動は始められるのではないか」という問いを受けたという。それに対して山本さんはこんな風に答えたという。
山本さん:政治をやるからには人間性を養って、社会に貢献出来る知識と知恵を蓄えならなければいけない。今はまだ社会に貢献出来ない。1人を幸せにする政策を打っても、周りで2人を不幸にしていたら良いものとはいえないのではないか。俯瞰して問題を知った上で、これがベターな解決策だというものを提示出来るようになりたい。
そんな解決策を打ち出すには膨大な知識が必要になるのだろう。山本さんのような人にこそ、勉強、学びということが真に活かされるのだと感じた。
政経塾に入ってから、様々な人に会い、様々な経験をした。何かを考えるとき、例えば、農業や漁業で実際に会った人の顔が浮かぶ。顔を思い浮かべ、リアルな現場を想像した上で、そこに知識を重ねて判断出来るようになれる気がする。現地現場の研修を重ねている山本さんはそんな話をしていた。
今は、そこまで不安に押しつぶされそうになることはない。今は自分のやってきたこと、考えていることにある程度自信が持てている。それも山本さんの日々の研鑽があってのことだと思う。卒塾後は政治の道へと進みたいと考えている。これから3年目、4年目と自身の研究テーマを深めていく。引き続き活動を追っていきたい。
最後に
実は山本さんと私の出会いは、政経塾の入塾式でした。2014年4月のことです。その時も少し話しましたが、この1年ちょっとで明らかに顔つきが変わっていました。少し偉そうな言い方になってしまい恐縮ですが、人の成長とはこのようなことを言うのか、と感じさせられたものです。小さい頃に思い描いていた政治家への道、それを一度は心の隅に追いやりましたが、やっぱり進みたいのはその道だったのですね。
思っていても言えない、山本さんは比較的小さい頃に経験したわけですが、大人になればなるほど自分の思いを言葉にしなくなります。現実を知るからでしょうか、いい歳してと思われるのが恥ずかしいからでしょうか。ただ、山本さんが政経塾に出会ったように、ずっと思っていればその機会に巡り会うのかもしれません。ただ、自分で行動をする、これは不可欠だなということも改めて感じました。